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OldなJazzのルーズな日々


2006-08-16 音楽

考察:Jam jam

ホモ・ルーデンスという本があります。ヨハン・ホイジンガの著作ですが、今となっては著作というよりも、その中で語られて一般化した概念、と言ってもよいでしょう。文化/文明以前に、人間には「遊ぶ」習性があり、それが人間を人間たらしめているという論です。この論を音楽にあてはめてみて、人間の本性として、何でも良いから音を出したいという遊びとしての本能がある。とします。

ただ、音を出しただけでは最初は面白いかもしれないけれど、単にうるさいだけで、イタイだけなのでそこで何だかの工夫を人類はする事になります。太古の昔ではせいぜい木を叩くくらいしか音を出す方法は無かったと思います。叩くだけではウルサいだけなので、ウルサくなくする為には何だかのルールを持って叩けばよいだろう、という事で”リズム”が生まれたと思うわけです。

太古の昔では遊ぶ事の前に生きる為に、何だかの創意工夫が必要とされます。この工夫は狩猟や農耕のための技術として弓矢の様な武器やスキ、クワ、等の道具、その道具を作る木や金属の加工技術に用いられるわけですが、この工夫が遊びの為の道具=楽器に平行して活かされていると思われます。石器時代から原始的な楽器は存在した様ですから。

旋律ってやつも先ずは声で代用されたと思われますが、直接声をコントロールするよりも工作精度がある程度高ければ何だかの道具によって音程を維持した上に旋律を作る方が簡便で確実です。絶対音感覚を持った古代人もいたかもしれませんが、現代においても絶対音感覚を生まれながらに持った人は極めて少ないので、やはり旋律の元となる為の正確な音程は何だかの道具(=楽器)による外部記憶に頼るのが良いでしょう。音程が正確に取れる道具の創作とメロディの元となるスケール・音階が形作られていったのではないかと考えます。この為には工作技術と同時に「モノの大きさを同定する」というかなり高度な知恵が組み合わされなければなりませんが、人間は言葉で知恵を後世に伝える事が出来るので、時間はかかったけれど音階は確定されました。明文化されて残っている最古の音階はピタゴラス時代が最初でしょうか。

話を現代に持って来て、本質的に「音を出したい」という意志が人間の本能であるとしてそんな人間に楽器を与えたら?

Jazzの始まりは南北戦争の終わりに軍楽隊の楽器が払い下げられて黒人たちの手に渡ってからだと言われてますが、この説は分かりやすそうで、現実的には??です。大体、いきなりタダの楽器が手に入ったからといって、指使いも分からないで楽器の演奏が出来る様になるとは考えられません。文字も満足に読めなかったといわれる人たちが自前で教本だけで習得したとも思えません。

黒人の歴史の中で、南北戦争当時南部の奴隷層だった黒人が多数北軍兵士として参戦した事が伝えられています。ここから当時貧しかった黒人が楽器というものを手にしたのは軍隊に入ってからなのではないかと、今考えています。軍隊に入って軍楽隊に入ればそこそこに譜面の読み方や楽器の操作も覚えるでしょうよね。最初のきっかけとしては何だかの教育を受けないと楽器の操作も簡単には出来る様にはならないでしょう。貧しかった黒人が軍隊に入ってそこで楽器に触れた。戦争終了後に自由人として、そこからJazzの元が始まったというのが自然な流れだと考えられないでしょうか。当然払い下げになった楽器も、もしかしたら退役する時に軍から貰って来たとかではないかと推測する次第です。

最低限の楽器の操作を覚えた処で、本質的に「音を出したい」人がする行動は何だかというと、先ずは自分の知ってるメロディを演奏する事だと考えられます。これは誰でも同じでしょう。次に一人で演奏しただけではつまらんので誰かと一緒に音を出したいわけですが、そこでは何だかのルールが無いと音がブッつかってイタイ事になってしまいます。

「とにかく音を出したい」「でも好き勝手やってはイタイだけ」という一見矛盾した目標をクリアするには的確な指導書と手本になる音源(CDやら)、経験者によるリーダシップや教育が必要となります。小学生の吹奏楽団の指導がこんなものです。

が、昔の黒人たちにはラジオも無い指導者や手本になるレコードや譜面など手に入らない時代・環境にいる人々ですから、どうすれば良いかと、みんなで音を出して出しながらリアルタイムにどうするか考え行動する、この繰り返しで音楽を作るやり方が一番理に適っていると考えられるわけです。(そうする他に方法が無い!)

最低限のルールとしてリズム・ビートを決めて、メロディを決めて交互に演奏して、他の楽器は必要に応じて間を埋める。。。非常に単純でかつナチュラルなルールですが実はこれ、Collective Improvisationそのものです。メディアも手本も無い状態では集団即興による音楽作りが一番手取り早く、かつローコストに済む音楽制作法なわけです。この形態の実現には回りと自分の音を聴き分けるある程度"良い耳"が必要ですが、分けの分からん小学生ではありません。分別のついた大人のやる事であれば容易に実現可能であると考えられます。Collective Improvisationのスタイルはこの様な環境で自然発生的に生まれたものと考えます。

Improvisationが難しい?と考えられている様ですが、ためすけは即興で演奏する事は難しく無いと考えてます。よく、Jazzのアドリブが出来ませんとかいわれますが、これは最初から完成された「ソロ」をしようとするから出来なくなってしまうので、集団で互いに音を出し合う中でメロディのフェイク〜ソロと段階的に発展させる様な形を取ればImprovisationは自然と身に付くものと考えます。

すでにあるソロを「手本」として近づける様「努力」するものではなく自然発生的に出て来るものがImprovisationなはずで、その自然発生を促す様な練習法を取ればよいのですが、残念ながらこの方法では結果が出るまで時間がかかります。来年の秋のコンクールに優勝しましょう、なんて卑近な目標には適していません。音楽性の向上などの「進化」も成行きに任せればそれなりに進んで行きますが、現代では進化の先にあるものをいきなり要求するので本来易しいはずのImprovisationが難しいものにされてしまっているだけです。

これが悪い意味での20世紀の思想ですが、人間の根本的な欲求が「音を出したい」にあるのなら、その意志を最大限尊重すべきです。手本を見ながらはそれなりに結構ですが、何だかの音が出された後は、その音をあるがままに受け入れてその音を元に創意工夫を重ねながらリアルタイムに音楽を作り続けるという基本姿勢を崩してはいけません。音に対して寛容にならなければならないわけですが、遺憾のは「デフォルト音を出したい」欲求に対して「許可無く音を出すな」というスタンスがある事です。「遊び」としての本質から「ビジネス」へ音楽の位置付けがシフトしてしまったのが原因ではありますが、本来自由なはずのJazzも現代では音に対してとても不寛容な音楽になってしまったので(プレイヤーもリスナーもmodernもswingもヘタするとNewOrleans系やFreeJazzでさえ)もっとプリミティブなリアルタイムに音を作るという姿勢を取り戻す必要があります。

参考文献→ホモ・ルーデンス

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]
koshu (2006-08-20 15:21)

興味深く拝読しました。
是非馬の「即興の会」(1〜2回/月 不定期開催)に遊びに来て下さい〜!
プリミティブな音遊びがそこにあると思います。

ためすけ (2006-08-20 19:13)

即興の会、koshuさんも行っていたのですか。では今度顔出してみようかな。。。月曜はJumpリハがよく入っているのだけど。

koshu (2006-08-26 17:11)

>(1〜2回/月
あ、これは「一ヶ月に1〜2回」てつもりで書きましたです。(^^;;
最近は土曜日が多いようです♪

ためすけ (2006-08-26 17:15)

そうそうOlinzのwwwみて気付いてました。チェックします。

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